0年 0月 の投稿一覧

DAIGO インスタでHYDE&yasuとのすっぴん3ショットを公開

 歌手でタレントのDAIGO(38)が31日、自身のInstagramを更新。「今年最後のインスタはめちゃカッコよくて大好きな先輩!HYDEさんとyasuさんと!!」とのコメントを添えて、L’Arc〜en〜Cielのhyde(ソロ名義はHYDE・年齢未公表)とAcid Black Cherryのyasu(41)との3ショットを公開した。

 この写真は忘年会の際に撮られたものだそう。DAIGOとyasuはかねてより、HYDEを尊敬し大ファンであることを公言。そんな2人を可愛く思ってか、HYDEは2人をとても可愛がっており、3人の仲の良さげな交流はファンの間でも有名となっていた。

 DAIGOは今回の投稿でも「久しぶりのスリーショット!!ずっと仲良くさせていただいて本当に感謝です!!!今年もお世話になりました!これからもずっとついていきます!!」と2人に対する尊敬の思いを綴り、ハッシュタグでも「#HYDEさん#yasuさん#大好き!!」と愛を爆発。「#嬉しい人リツイート!間違えた!いいね!笑」と、ファンにも「いいね」を促していた。さらに、「#平均年齢あがってきた!笑#でもそれを全く感じさせない俺たち!」と、アラフォー3人組ながらも若々しさを保っていることを自負した。

 3人のすっぴんショットにファンは感激。「すっぴん カワイイ」「最高の3ショット」「久々の神スリー(T_T)泣ける(T_T)かっこいい(T_T)いつまでも大好きです!」などのコメントが寄せられた。

 

TOKIO松岡昌宏 ただ一人楽屋あいさつに来なかった後輩は「伊野尾慧」と暴露

31日放送の「メレンゲの気持ち今年話題の人豪華集結SP」(日本テレビ系)で、TOKIO・松岡昌宏が、自身の芸能歴においてただ一人楽屋にあいさつに来なかった後輩を明らかにした。

番組では、松岡が登場してジャニーズ事務所についての話を繰り広げた。その中で松岡はHey! Say! JUMP・伊野尾慧については2015年の特番で一緒になるまで、同じ事務所だったとは知らなかったと明かした。

そんな伊野尾について、松岡は28年近くジャニーズ事務所に所属しているが、自身の楽屋に挨拶に来なかった後輩は「コイツだけ」と指さして暴露。松岡はそのとき、スタッフが楽屋に呼びに来たものの「伊野尾も来てないのに出るわけにいかない」と渋っていたことも明かし、追い打ちをかける。

スタジオで笑いが漏れる中、伊野尾はしまったという顔でうつむき「何言ってもいいわけになってしまいますから」とこぼした。久本雅美が「とりあえずお前、今日、菓子折り買って持ってけ」と伊野尾に申し渡し、スタジオに笑いが起きていたのだった。

【関連記事】
松岡昌宏が「アニキ」と呼ばれる理由 撮影現場で「司令塔みたい」
TOKIOの松岡昌宏がマギーを大絶賛「芸能界入って27年だけど1番可愛い」
嵐の相葉雅紀がHey! Say! JUMP・伊野尾慧の薄情ぶりをバラす

アサヒ芸能「スクープ大事件史」Vol.7(5)連合赤軍の山岳ベースは“リンチ地獄”と化していた

アサヒ芸能「スクープ大事件史」Vol.7(5)連合赤軍の山岳ベースは“リンチ地獄”と化していた

写真拡大

 この「あさま山荘事件」の後、彼ら連合赤軍が12人もの同志をリンチ殺害していたという驚愕の事実が判明した。ローラー作戦で都内を追われた連合赤軍のメンバーは榛名山、迦葉山(かしょうざん)、妙義山といった群馬県内の山を“ベース”として渡り歩きながら、71年12月末からの約2カ月半のあいだに次々と同志を粛清していたのだ。

 この凄惨なリンチの実態については72年3月23日号が詳しい。

〈「チ×でヤ×でブ×でヒ×、おまけに××で×××で色が××(中略)永田洋子の、あの陰険かつ冷酷残忍な振舞いは、こうした(中略)欠陥が、大いに影響しているじゃないかな」

 と、これは主として彼女を中心に取材にあたってきた新聞記者氏の話である〉

 そう書き出されるように、「総括」と称したリンチの主導者は永田洋子、それに森恒夫であった。永田は共立薬科大学卒業の活動家で、当時は27歳。森は大阪市大卒で、28歳であった。

 リンチの模様はこう記される。元・早大生の山崎順(21)の場合──、

〈まず、森、坂東国男、植垣康博の3人が顔面を殴りつけ、坂口がアイスピックで山崎の心臓めがけて2度突き刺した。坂東、植垣もアイスピックで刺し「助けてくれェ」と哀願しながらくずれる山崎の体を引き起こし、さらに植垣と青砥幹夫が登山ナイフで心臓部を刺したが、山崎はうめき声を出し苦痛に耐えぬいた。これを見て森が青砥からナイフをもぎとり、心臓を突き刺し、数回にわたってえぐったという。さらに坂東と吉野が山崎の首にロープを巻き、力まかせにしめつけて絶息させたという〉

 もちろん、陰険かつ冷酷といわれた永田洋子も残虐をきわめる。

〈ことに同性に対するリンチが陰惨だった。大槻節子(24)を“総括”した理由は、「仕事中にセックスした」のは「兵士にあるまじき、反革命的行為」だからだという。(中略)

 永田によれば、妊娠することも「ブルジョワ的で、反革命的」なこと。妊娠8カ月の金子みちよ(24)はこれで粛清された。(中略)金子は針金を束ねたムチで永田にたたきのめされ、食事抜きで土間の柱に縛りつけられた。そして「オマエ、お腹の子はだれのガキなんだよォ。【夫婦関係にあった・注】吉野の子かどうかわかりゃしねェだろ。引きずり出してやろうか」(中略)

 永田は夫婦仲のよかった山本順一(28)、保子(28)のむつまじさにも出目をむいた。

「テメエら、乳くりあうのもいいかげんにしろ。夫婦気取りで革命ができるか」

 山本順一は、エビ固めにくくられてぶちのめされ、泣きわめきながらのたうち、舌を噛んで自殺した〉

 革命集団は、警察当局に追い詰められるなかで、いつしかリンチを事とする無法者集団に堕していったのである。

 連合赤軍のメンバーたちの供述調書に基づいた72年11月2日号の記事は、以上のようなリンチ(総括)について、こう述べている。

〈「総括」という名の人民裁判が行なわれるのは、必ずといってよいぐらい真夜中だった。

 銃器を管理している幹部の部屋に突然呼び出し、いっさいの反論も許さず、一方的に追及するのがつねだった。

 そのあとは決まって「兵士」の意識を強めるため」と、同志に対するリンチが幹部から強要された。

 こうしてわずか1カ月のあいだに、12名の同志が総括で死んでいったわけである〉

 もっとも、“革命”という時代遅れの夢に憑(つ)かれた彼らは「同志」を惨殺したことを全面的に自己批判したわけではなかった。右の記事は次のように、彼らの声を伝えている。

〈12人もの同志を殺害したことは、単なる殺人鬼の行動ではない。共に闘おうという意識が強かったため、革命の達成を急ぎすぎ、銃による党建設をはたそうとしたための誤りだ。山を逃げ出すものがあるのではないかという不安が支配していたため、12人もの同志を殺してしまった。

 もう一度くり返すが、この事実を(中略)異常者の単なる犯行にしてはならないと思う〉

 閉ざされた世界はそうした心理を生みやすいとしても、しかし、そうした声は一般社会に受け入れられるものではなかった。それによって、新左翼運動を好意的に見ていた一部の人間も一気に彼らから離れていった。

 ただし、このリンチ事件で“革命ごっこ”の動きがすべて潰えたわけではなかった。74年8月30日には東アジア反日武装戦線「狼」による三菱重工ビル爆破事件が起き、8人が死亡。75年3月には中核派の最高指導者・本多延嘉(ほんだのぶよし)が就寝中、マサカリで頭をかち割られるという凄惨な内ゲバも起きている。

 ちなみに、連合赤軍の森恒夫は73年1月、東京拘置所で首吊り自殺。永田洋子は死刑囚として収監されていた東京拘置所で脳腫瘍のために獄中死している(2011年2月)。

アサヒ芸能「スクープ大事件史」Vol.7(6)エリート&芸能人がつまずいた“愛欲の罠”

アサヒ芸能「スクープ大事件史」Vol.7(6)エリート&芸能人がつまずいた“愛欲の罠”

写真拡大

 この70年代は“愛”につまずくエリートや芸能人も目立った。

 73年9月20日号が取材しているのは、38歳の立教大学・大場啓仁(おおばひろよし)助教授が妻子4人で伊豆半島の石廊崎(いろうざき)から飛び降り心中をした事件だ。自ら死を選んだ原因は大場助教授が教え子の女子学生(24)との関係の清算に失敗、彼女を殺害したことが発覚したためだった。

 76年5月、芸能人による愛人殺人という前代未聞の事件が発覚、逮捕されたのが歌手の克美茂だった。落ちてきた人気を取り戻そうと、音楽関係者への接待を続けた克美は、借金がかさむ。そこで、愛人の銀座の人気ホステスをトルコ風呂で働かせ貢がせていたが、妻子がいたことがバレると、カムバックの足手まといになるとして絞殺。羽田空港に駐車した車のトランクから遺体が発見され、逮捕された。5月27日号の総力特集は、その詳細を伝えている。

 この総力特集はまた、落ち目になった芸能人の“アセリ”にも焦点を当てている。

〈「雨に咲く花」のヒットをとばした井上ひろしさんも──、

「ボクも(克美と)同じですけど、スターの座からだんだん落ちていくと、アセリが生じるんですよね。そういうとき(再起の)チャンスが訪れれば、これはもう万難を排して死にもの狂いになる。なにか障害があれば、それを踏み倒してでもやる。そういう意味では、ボク、こういう事件が起こるのもわかるようなきがするんです」〉

 率直なコメントである。それだけに、浮沈の激しい芸能界はつねに“第2の克美茂”の危険性を秘めている。いや、「殺人」までいかなければ、すでに第2、第3……の克美はすでに生まれているはずだ。

アサヒ芸能「スクープ大事件史」Vol.7(7)梅川昭美が君臨した3日間の地獄絵図

アサヒ芸能「スクープ大事件史」Vol.7(7)梅川昭美が君臨した3日間の地獄絵図

写真拡大

 79年1月26日の午後、大阪市の三菱銀行北畠支店に猟銃をもった男が押し入ったのが“悪夢”の発端だった。犯人は梅川昭美(うめかわあきよし)。ナイトクラブの従業員で、かさんだ借金の返済が犯行の動機だった。

 銀行に押し入った梅川はカウンターにいた行員に袋を突き出し「これに金を入れろ」というと、銃を数発天井に向けて威嚇発射した。客や行員の悲鳴が飛び交うなか、ひとりの行員が110番すると、すかさず射殺(第1の死者)。当初は金を奪ったら逃走するつもりだったが、銀行から逃げ出した客が警官に事件を告げたため、その警官が店内に急行した。拳銃を構え、「銃を捨てろ」といって威嚇射撃をすると、梅川は即座にその警官を射殺している(第2の死者)。さらに、警官ふたりが駆けつけてくると、彼らに向かっても発砲。ひとりは防弾チョッキのために難を逃れたが、もうひとりの巡査は死亡した(第3の死者)。

 その後、銀行が包囲されたため、梅川は行員や客を人質にとって籠城を決め込んだ。しかも人質たちが逃げられないよう、男女とも裸になることを命じたのである。そして、支店長を見つけ出すと、「こうなったのはおまえのせいや」といって射殺している(第4の死者)。

 落ち着いている年輩の行員に目をつけると「なまいきや」といって、また発砲。反射的に身をかわしたため、致命傷を逃れた行員は死んだふりをしていると、梅川は別の行員にナイフを渡し、「とどめを刺せ」と命じている。その行員が機転をきかせ、「死んでます」と答えると、「だったら、耳を切り落とせ」と命じる。行員は小声で「スミマセン」といいながら耳の上半分を切り落としている。

 こんな立て籠もりが26日から28日まで、3日間も続いた。

 その間に、梅川の身元が判明、母親と叔父が説得にやってきたり、人質行員を使って借金の返済に行かせたり(もちろん、必ず戻ることを命じている)というひと幕もあった。

 一方、警察のほうも地下の金庫室に侵入し、ATMの陰から中の様子を見られるようにしている。そうして態勢を整えた後、特殊部隊SATのメンバー7人が機会をうかがい、28日の午前9時前、突入すると、梅川の頭から胸を狙って銃撃。梅川はその後搬送された病院で死亡した。

 この事件の結末に関しては、3月29日号が詳しく報じている。

〈午前8時41分──。

 ちらりと梅川昭美は新聞から目をあげ、バリケード代りのキャビネットに黒い頭がのぞいているのをみて愕然とした。

 彼があわてて右手の拳銃でこの黒い頭を狙い撃とうとした瞬間、拳銃の閃光がひらめき、梅川昭美は首を撃たれた。

 狙撃班は合計8弾を撃った。命中したのは3弾。1弾は頭、1弾は首、1弾は同じく首から肩に命中していた。

 狙撃班が必中のライフル銃を使わなかったのは、ライフルは威力がありすぎるので、はね弾で人質に傷をあたえるおそれがあったからである。(中略)

 だが、この男はヒューッという呼吸をしていた。

「まだ生きている!」

 担架で梅川昭美は救急車に運び込まれ、大阪警察病院で手当をうけたが、この日の午後5時43分、ついに死亡した〉

 2月19日号の8ページにわたる総力特集は、事件の一部始終を見取図入りで伝えているが、なかにはこんなくだりもある。

〈全裸の女子行員たちに、彼は無表情にこう命令した。

「よーし、みんな股を開け」

「閉じろ」

「開け、もっと開くんや」(中略)

 梅川の命令は、さらにエスカレートしていった。

「机の上に正座するんや」

「こんどは四つん這いになれ」〉

 サディズムのかぎりを尽くした地獄絵図が繰り広げられたのであった。

 同号の記事でもうひとつ驚かされるのは、事件解決翌日の29日から店舗2階で業務を再開していることだ。行員たちの心的キズ(トラウマ)などお構いなしに営業に邁進した“ナニワ商人”のエゲツさには当時の捜査員たちも呆れていた。

 ついでに記しておけば──当時、「梅川の愛人はなんと、あの鳴海清の元愛人だった」という説が流れたが、その真偽は確かではなかった。おそらくいまも、この情報はナゾに閉ざされたままであろう。

「真田丸」で注目を集めた遅咲きの演技派女優にドラマ関係者が熱視線

「真田丸」で注目を集めた遅咲きの演技派女優にドラマ関係者が熱視線

写真拡大

 近年のNHK大河ドラマとしては異例の高視聴率を記録して、好評のうちに最終回を迎えた「真田丸」。主演の堺雅人のみならず、脇を固めた俳優陣の名演技もたびたび話題を集めたものだった。

「視聴率の高さもあり、堺や大泉洋といった主要キャストはもちろん、端役に至るまでその演技が注目されました。真田信繁の父・昌幸を演じた草刈正雄も、その演技力の高さが改めて評価された一人です」(テレビ誌記者)

 そうしたなか、業界内で注目度急上昇なのが、大泉演じる信之の妻・こうを演じた長野里美だという。

 長野は、早稲田大学出身で2012年に解散した「劇団第三舞台」の元・看板女優。“小劇場の女王”と称されるほど演技力には定評があったが、これまでドラマや映画ではそれほど注目を集めることはなかった。それが、今回の「真田丸」での演技によって業界内で高い評価を受けているという。

「長野は脚本を手掛けた三谷幸喜さんの熱烈なラブコールにより出演したそうですが、高い演技力と独特の雰囲気が注目されています。最近は吉田羊など、端役での演技が評価されて一気に遅咲きのブレイクを果たす女優も多いですが、長野も来年はさらなる活躍が予想されますね」(民放テレビ局編成担当)

「真田丸」効果は想像以上に大きいようだ。

(しおさわ かつつね)

メイプル超合金のカズレーザー 一緒に仕事してラクなのは高橋英樹

メイプル超合金・カズレーザーが最もやりやすい共演者

写真拡大

31日放送の「メレンゲの気持ち」(日本テレビ系)で、メイプル超合金・カズレーザーが、最もやりやすい共演者を明かした。

番組では、「やりやすいMC」についてトークを繰り広げた。安藤なつは、明石家さんまと答え、「やっぱりスゴい」「全員の得意とする分野を見抜いて振ってくれたり」「それは本当に、さんまさん位だと思います」と絶賛した。

一方、カズレーザーは「MCとかじゃないんですけど」と前置きをした上で「一緒に仕事してラクなのは、高橋英樹さん」と告白。その理由は「スゲェ笑ってくれる」「声通るし、『越後製菓』の笑い方」「ちょっとしたダジャレで『ハッハッハッハ! カズー!』って」と、笑顔でコメントしていた。

【関連記事】
ベッキーの後輩・メイプル超合金のカズレーザーが事務所の混乱ぶりを告白
カズレーザーがテレビ局の問題点を指摘「メディアリテラシーが本当にない」
カズレーザー 現事務所・サンミュージックを選んだ意外な理由

父親・市川團十郎とはまったく異なる 市川海老蔵の子育て論

自身の苦い経験から息子には「歌舞伎以外の道も」という市川海老蔵

写真拡大

歌舞伎俳優の市川海老蔵が我が子に接する姿は、他界した父親・市川團十郎(十二代目)さんとは全く異なる。幼い頃から父との距離を感じ、不満や苦しみを抱えながら成長した彼は、やがて独自の子育て論を唱えるようになった。

【この記事の他の写真を見る】

12月29日放送の『新・情報7daysニュースキャスター 〜超豪華!芸能ニュースランキング2016決定版〜』の単独取材に応じた市川海老蔵は、乳がんで闘病中の妻・麻央さんや2人の子供達と過ごした激動の2016年を振り返った。その中で海老蔵は、10歳の時に「自分の子供はこう育てたい」という独自の理論が出来上がっていたと告白。そこには父である故・十二代目市川團十郎さんとの親子関係が影響しているようだ。

過密スケジュールの中、5歳の長女・麗禾(れいか)ちゃんや3歳の長男・勸玄(かんげん)くんと過ごす時間を最優先にしている海老蔵。彼には「人間の根本は愛」という理念があり、愛情を伝える作業を子ども達に教えることが大事だとしている。普段から近所を親子で散歩したり一緒にお風呂に入ったりするなどして我が子と触れ合う機会を少しでも作るように努力し、積み重ねてきた。

また海老蔵は、勸玄くんには歌舞伎役者への道を無理に勧めておらず「基本的にはやらなくて良いと思っている」とまで言い切っている。自分の舞台を見せたり楽屋で遊ばせたりと“歌舞伎に携わることは楽しい”という環境を整えてはいるが、将来の選択については彼の意思を尊重するそうだ。

父である故・市川團十郎さんとは幼い頃から距離があり、親子のスキンシップはほぼ無かったという。その一方で、海老蔵は3歳の頃から「歌舞伎をやるように」と父から仕向けられていた。親子としての愛情を十分に感じられなかった苦しみと、成田屋の看板を背負うことは当然とされた不満を今回のインタビューで認めている。

「勸玄は現時点まで、順風満帆に育っている」と海老蔵は自信たっぷりだ。つい先日、自宅療養中だった麻央さんが2か月半ぶりに入院した。幼い我が子を自宅においての入院は母親として身を切られる思いであろうが、全てを彼に任せて治療に専念して欲しいものだ。

出典:https://www.instagram.com/ebizoichikawa.ebizoichikawa
(TechinsightJapan編集部 みやび)

市川海老蔵、小林麻央と年越しそばを食べて涙 ブログで告白

市川海老蔵

写真拡大

 歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が31日、自身のブログを更新。妻で乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央(34)と久々に外食に出かけ、2人で年越しそばを食べたことを明かした。

 この日午前に更新したブログで、麻央と外出中であることを報告した海老蔵。その後、「デートへ」のエントリーで再びブログを更新し、「久しぶりの外食、それも蕎麦屋、私もなんか涙出て、2人でありがとうと、涙」と互いに感謝し合い、涙を流したことを告白した。

 続けて更新したブログでは、2人で食べた年越しそばの写真をアップロード。「なんでもないことなのになんか連日、泣けるわマジに」と心境をつづった。

父親・市川團十郎とは全く異なる 市川海老蔵の子育て論

自身の苦い経験から息子には「歌舞伎以外の道も」という市川海老蔵

写真拡大

歌舞伎俳優の市川海老蔵が我が子に接する姿は、他界した父親・市川團十郎(十二代目)さんとは全く異なる。幼い頃から父との距離を感じ、不満や苦しみを抱えながら成長した彼は、やがて独自の子育て論を唱えるようになった。

【この記事の他の写真を見る】

12月29日放送の『新・情報7daysニュースキャスター 〜超豪華!芸能ニュースランキング2016決定版〜』の単独取材に応じた市川海老蔵は、乳がんで闘病中の妻・麻央さんや2人の子供達と過ごした激動の2016年を振り返った。その中で海老蔵は、10歳の時に「自分の子供はこう育てたい」という独自の理論が出来上がっていたと告白。そこには父である故・十二代目市川團十郎さんとの親子関係が影響しているようだ。

過密スケジュールの中、5歳の長女・麗禾(れいか)ちゃんや3歳の長男・勸玄(かんげん)くんと過ごす時間を最優先にしている海老蔵。彼には「人間の根本は愛」という理念があり、愛情を伝える作業を子ども達に教えることが大事だとしている。普段から近所を親子で散歩したり一緒にお風呂に入ったりするなどして我が子と触れ合う機会を少しでも作るように努力し、積み重ねてきた。

また海老蔵は、勸玄くんには歌舞伎役者への道を無理に勧めておらず「基本的にはやらなくて良いと思っている」とまで言い切っている。自分の舞台を見せたり楽屋で遊ばせたりと“歌舞伎に携わることは楽しい”という環境を整えてはいるが、将来の選択については彼の意思を尊重するそうだ。

父である故・市川團十郎さんとは幼い頃から距離があり、親子のスキンシップはほぼ無かったという。その一方で、海老蔵は3歳の頃から「歌舞伎をやるように」と父から仕向けられていた。親子としての愛情を十分に感じられなかった苦しみと、成田屋の看板を背負うことは当然とされた不満を今回のインタビューで認めている。

「勸玄は現時点まで、順風満帆に育っている」と海老蔵は自信たっぷりだ。つい先日、自宅療養中だった麻央さんが2か月半ぶりに入院した。幼い我が子を自宅においての入院は母親として身を切られる思いであろうが、全てを彼に任せて治療に専念して欲しいものだ。

出典:https://www.instagram.com/ebizoichikawa.ebizoichikawa
(TechinsightJapan編集部 みやび)